川高川女合格専門!爆裂松江塾!

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明日、死ぬかも


 昨日は、


児童養護施設へクリスマスプレゼントを届けた。


約10年、僕はこの活動を続けている。
 

近年では、コロナ禍の影響で、


子供達に直接プレゼントを渡せていない。


職員の方を通して、


2歳から6歳の子達に、


プレゼントを渡してもらうように、


お願いをしている。






 こちらは、7年前に僕が書いた楽天ブログより↓




 『明日、死ぬかもしれないので、書いておきます』



こんなタイトルだと、何かあったのかと、不安にさせてしまったかもしれませんね。



ごめんなさい。




日曜日は、妻が車のタイヤ交換などの用事で、3歳の娘と一緒に出掛けた。



その間、僕は、家で双子の育児を。
 

ミルクをあげ、ゲップをさせ、オムツを替える。



溜まった食器を洗い、哺乳瓶は洗った後、ミルポンに浸ける。



もう二人目、三人目なので、育児にも、
 

そして家事にも慣れた。
 

しかし、二人同時にギャンギャン泣かれると、ちょっと困る。



午後には、妻と娘が帰宅してきたので、今度は僕が出かける番。



娘は、公園で遊びたがっていたので、娘も一緒に連れ出した。
  


その前に、若葉ウォークで、お買い物。




といっても、僕のために買ったのは夕飯の食材ぐらいで、あとは24日のプレゼント。



しかし、僕の心は暗かった。



そして、表情も暗かったと思う。



きっと、来年も再来年もプレゼントを届けるのは変わらないと思う。



プレゼントを選ぶ最中も、娘は一緒。



自分が、もらえるものだと勘違いしているようだから伝えてあげた。



他の子に渡すものだよと。

 

僕の目は、娘の顔の奥の遠い向こう側を見ていた。



そう、去年のあの子達の顔を思い浮かべていた。



「いい子にしていれば、また来るよ」



僕の腕を掴んで離さない女の子に、そう言い残して、僕は立ち去った。



僕があの場所に行かなくて済む日が、来るのだろうかと。



どうして、その子達は、あの場所で過ごす事になってしまったのだろうか!?


と。


殆どが、親の虐待や育児放棄など。



きっと、それは親だけの責任では無いと思う。



買い物を終えると、僕の表情だけでなく、空もすっかり暗くなっていた。



太陽は、西の地平線に顔を隠し、代わりに月が出ていた。



公園で遊ぶ約束だったので、僕らは若葉ウォークの隣の公園に向かった。



二人、手を繋いで。



娘は、無邪気だ。



二人で、それぞれのブランコに座る。



前まで上手に出来なかったブランコも、今では自分で乗れるようだ。



すると、




「月が、追いかけてくるみたい」




ブランコに乗りながら、空を見上げ、そう言う娘。



僕らが子供の頃に抱いていたのと同じ疑問を、



純粋に投げ掛ける。



どこかに忘れてしまった純粋さ。



帰宅して、袋からおもちゃを取り出す娘。



もう一度、娘に説明した。



娘のために買ったのではないと。



児童養護施設の子達のために買った物だと。



施設の子達は、親と離れて暮らしているんだと。



「その子達、お金持ってないの?」



というぐらいだから、まだ娘は、殆ど理解していない。



そう、それから、



帰宅したら妻の具合が悪かった。



僕は、ほぼ一人で、双子を順番にお風呂に入れた。



そして、妻の具合は次第に悪化。



痛み止めの薬を渡して飲ませたのだけど、



それでも痛みが治まらなかった。



救急車を呼ぶ事も頭に入れながら、



ネットで休日診療を探した。




道路の真ん中で倒れたり、寝込んだりしている人を見つけ、



110番した事は2回ある。



どちらも、冬の寒い時期で、僕は、仕事の帰りだった。

 
きっと、その人たちは、飲酒が原因だったのだろう。



しかし、今まで、救急車を呼んだ事は、一度もない。


僕の自宅の住所は川越だけど、限りなく坂戸寄りなので、



妻は、坂戸の病院へタクシーで行った。



本当は、親に子供を見てもらって、



妻と一緒に病院へ行きたかったのだが、



親は、車で出かけている最中で、直ぐに戻れそうになかった。



子供達と出かける事も考えたが、



既に、娘や双子は寝る時間で、



娘は疲れたのか、夕飯を食べながら寝てしまっていた。



結局、原因は分からないが、盲腸や急性膵炎などの可能性も、考えらるようです。



抗生物質などの薬を貰って、服用したら、大分痛みは治まったようだ。



ただ、帰宅後、また痛くなったら、救急車を呼ぶようにと伝えられたらしい。



妻や子供達は、いつも通り和室で寝て、



僕は、隣のリビングのコタツで寝た。



何かあったら、直ぐに助けられるように。



3時間後ぐらいに妻が起きてきて、



違和感が残るけど、大丈夫だと伝えてくれた。



それでも心配で、僕は、またコタツで寝た。



目が覚めた時、僕の方は、頭痛がした。



寒くは無かったけど、風邪だろうか。



とにかく、頭が重かった。


僕らは、
  


昨日と同じような今日を、



先月と同じような今月を、



昨年と同じような今年を、




何とか生きている。




明日、死ぬかもしれない何て、殆どの人は想像していない。



でも、3.11の震災があり、今月は、フランスでテロ事件があり、



想像していない事が、世界では次々に起きている。



突然、心臓発作になるかもしれないし、



自動車事故に遭うかもしれない。



ネガティブに考えているのではなく、



そうなるかもしれないという事。



僕は、いつも基本、ポジティブだ。



だから、僕は、明日も明後日も、生きているかもしれないが、

 

いつか、明日、死ぬかもしれない日が来るのです。



震災の後、1年後ぐらいに、ボランティアで石巻に行った。




原発関連の施設で働く人の話や東京で働いていたけど、震災を機に石巻の実家に戻った人の話を聞いた。



そして、僕がボランティアに行った場所は、



津波で1階部分が、土砂で覆われてしまった家だ。



家の中は、大分片付いていたけど、それでも、土砂は残っていた。



そして、それらを袋に詰めて運び出す手伝いをした。



震災の事は、



関東に住んでいると、どこかで終わってしまった出来事のように感じてしまう。



しかし、あの日がスタートで、まだまだ苦しんでいる人はいる。




きっと、終わりはない。



今年は、もう直ぐ終わりますが、



僕は、何が出来たのでしょうか?



誰かの役に立てたでしょうか!?



明日、死ぬかもしれない。




だから、精一杯生きようと思うか。



明日、死ぬかもしれない。



だから、諦めようと思うか。



僕は、いつも前者でありたい。


※妻の事は、心配しないで下さい。大丈夫そうです。